慶應義塾大学→京大に仮面浪人で合格した吉川将平さんインタビュー

慶應義塾大学→京大に仮面浪人で合格した吉川将平さんインタビュー

吉川将平さんのプロフィール

出身地 千葉県
学歴 県立千葉高校→一浪(河合塾津田沼校)→慶應義塾大学理工学部→京都大学総合人間学部(現在4年)
現在の動向 いくつかのサークルを立ち上げ、活動中。
仮面浪人形態 大学の授業と並行して受験勉強を行う。
予備校 Z会の通信講座、河合塾(冬期講習のみ)
アルバイト 家庭教師(月1回程度)
サークル テニスサークルに所属

専攻をすぐ決めることに違和感を覚え、仮面浪人を決意。

吉川さんは慶應義塾大学(以下、慶應)に一浪で進学された後、仮面浪人を経て京都大学(以下、京大)に進学されています。まず、慶應に進学した理由は何ですか?

現役、一浪時は、学力が同じくらいの友達が東大を狙っていたため、それに影響されて僕も東大を目指していました。また、幼少期から理系に向いていると思い込んでいましたが、言語を中心とした人文学への関心が抑えられなくなったこともあり、オープンキャンパスで知った東大の教養学部を目指していました。

しかし現役一浪時と東大に落ちてしまいました。実は、京大の総合人間学部も自分のやりたい勉強が出来ると知り、ぴったりだなとは思っていたのですが、2年間東大を目指していたことや一浪時の模試がA判定だったことから来るプライドのため、京大は受けませんでした。その点は後悔しています。気持ちとしては二浪してでも希望の大学に行きたいと思っていましたが、2年遅れた入学した場合に自分が周囲に馴染めるのか不安があり、親の負担もあって合格した慶應に入学しました。

仮面浪人を決意された理由は何ですか?

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慶應に入学した後は大学院に進学して、自分の興味とキャリアの志向に合う研究を探すなどして、新たな目標を見つけて自分の中で折り合いをつけようとしていました。そこで、大学院についてネットでよく調べていたのですが、その際につい京大についても調べてしまうくらい、京大への心残りはありました。しかし、慶應にも馴染めてきていたので、慶應で専門を決めて勉強するのもいいかなと思っていました。

しかし、夏休みに参加した自動車免許合宿での出会いで仮面浪人を決意しました。その合宿で大学に27歳で入学した人と知り合ったのですが、「人生は何年遅れても全然大丈夫だよ」と言われて、もう一回受験し直そうかなと思いました。確かに、「何年遅れても大丈夫」というのは論理的には分かるのですが、自分の正直な気持ちとしては辛いだろうなと思っていました。しかし、実際に何年も遅れて入学した人に接してみて、その躊躇していた気持ちがなくなり、受験したいと思うようになりました。

また、慶應の理工学部に入学してから、想像通り様々な分野を学べるような環境ではなかったことも、仮面浪人を決意した一つの要因です。僕は小さい頃から科学に興味がありましたし、成績も理系科目の方が良かったので、自分は理系に向いていると考え、理工学部に進学しました。しかし、文系にも興味があり、特に認知言語などを学んでみたくて、文学部の授業に潜ったりしていました。しかし、理工学部なので実験が忙しく、他の分野を勉強するのはなかなか難しいと感じました。そこで、分野をまたいで勉強できないことに不満を持ち、やはり教養学部系に行きたいなと思い、京大の総合人間学部を目指して夏休みから仮面浪人を始めました。

周りの人に、仮面浪人することを相談しましたか?

まず親に9月頃相談しました。最初に相談した時は、「仮面浪人は自分が決めたことから逃げることになる。それを繰り返していると、逃げ続ける人生になってしまう」と言われ、反対されました。しかし、決して学歴のために仮面浪人するのではなく、自分の興味関心を大事にしたい、そのためには教養学部系に進学したいという想いを伝え、了承してもらいました。

大学の友人には言いませんでした。僕はテニスサークルに入っていたのですが、勉強が忙しくて練習には参加できない分、練習後に一緒にご飯を食べたりしていたので仲も良かったです。その分、仮面浪人していることを打ち明けやすいのかなと思うかもしれませんが、仮面浪人していることを打ち明けると周囲も気を遣い、自分としてもせっかく馴染んで息抜きできる環境を作ったのに、それを壊してしまうかもしれないと思っていたので、友人には言いませんでした。

大学生活も犠牲にしなかった仮面浪人。

実際に仮面浪人中はどのような生活を送られていましたか?

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前期はまだ仮面浪人を決意していなかったこともあり、大学の授業やサークルに参加していました。実際に勉強し始めたのは後期からですね。

後期からは受験勉強をするけど、大学生活は犠牲にしたくない、という想いがあったので、火曜日から金曜日は普通に大学生活を送っていました。

そして受験勉強をする時は勉強だけに集中したかったので、毎週金曜日に大学の授業が終わってから千葉県の実家に電車で帰り、実家で土日月と勉強していました。そして、また授業が始まる火曜日の朝に電車に乗って実家から直接、大学の授業に向かうという生活を半年間送っていました。

毎週火曜日にスーツケースを持って登校していたので、周りから見れば変な人だと思われていたかもしれませんね(笑)

大学に通っていた火曜日から金曜日は、空きコマに勉強していた程度です。大学生活を犠牲にしたくなかったですし、どっちつかずになってしまうかなと思ったので、大学生活と勉強はきっちり分けていました。

大学生活を犠牲にしたくなかったのは、何故ですか?

大学生活を犠牲にしたくなかった理由は2つあります。1つは落ちた場合の保証がないことです。大学に通わず勉強して不合格だった場合、留年してしまったり、友達が居ないという状況になってしまい、それは厳しいなと思っていました。

もう一つは、親への申し訳なさです。今まで現役、一浪時と予備校代などを出してもらいながら不合格となってしまっていたので、親に申し訳ないと思っていました。そこで、慶應のお金を出してもらい、一人暮らしもさせてもらっているのだから、それを無駄にしないよう、慶應の大学生活もしっかり送ろうと決めていました。

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