立教大学→早稲田大学に仮面浪人で合格した樋口祥子さんインタビュー

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樋口祥子さんのプロフィール

出身地 東京都
学歴 田園調布雙葉高等学校→立教大学社会学部→早稲田大学商学部4年
現在の動向 バンドサークルに所属していた。卒業後は広告会社に就職予定。
仮面浪人形態 前大学の授業と受験勉強を並行
予備校 通っていない
アルバイト なし
サークル なし

進学して再確認した、元気で刺激的な環境への憧れ

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志望校はずっと早稲田大学(以下、早稲田)だったそうですが、そもそも早稲田大学を目指した理由を教えて下さい。

通っていた高校がカトリックで女子校ということもあり、落ち着いた穏やかな環境でした。それはそれで良かったのですが、大学ではもっと元気で活発な人達と過ごして、もっと刺激が欲しいと考え、活発な学風である早稲田を志望していました。

また、父の影響も大きかったですね。父が早稲田の卒業生で、私が中学高校の頃から早慶戦や早稲田祭に連れていってくれていました。それもあって、早稲田の活発な雰囲気に憧れを持つようになりましたね。

結果としては早稲田大学には合格出来ず、立教大学(以下、立教)に進学されたとのことですが、そこまでの思いがあるにも関わらず、最初はなぜ浪人という道を選ばなかったのですか?

現役の時には成績があまり優れておらず、早稲田に受かりそう!と胸を張って言えるような状況ではありませんでした。だから、第一志望は早稲田で第二志望は立教というスタンスではあったのですが、最終的には早稲田と立教どっちでも良いという気持ちになりました。

また、結果を受けてもちろん落ち込んだのですが、もう一回受験しても合格するかは分からないので、立教に行くことにしました。両親が「立教も良い大学」と言ってくれたのも、かなり大きかったように思います。

自分の中では納得して立教に進まれたにも関わらず、仮面浪人の決意が5月とかなり早いように感じるのですが、何かきっかけなどがあったのですか?

最初は他の新入生と同様に新歓にも参加しており、そんな中で立教には落ち着いた雰囲気の人が多いなという印象を持ちました。その環境も好きだったのですが、高校時代に抱えていた「大学では元気のある人達と過ごして、刺激が欲しい」という思いが拭いきれず、GW明けから自然と単語帳を開いていました。

もちろん立教も良い大学なのですが、私は元気で刺激をもらえる環境に行きたいという思いが強かったので、仮面を決意したという感じです。

仮面浪人は、留年の可能性などかなりリスクが大きいように思うのですが、そこに対する怖さや不安はあったのですか?

それはすごく悩みました。しかし、早稲田のサークルが出版している冊子で紹介されていた合格体験記がとても大きな支えになりましたね。合格体験記の中に、実際に仮面浪人で立教から早稲田に進んでいた人がいたので、やれば出来るんだ!とかなり励みになりました。

また、成績開示の結果かなり惜しくて、もう一年頑張ればいけるのでは、という感覚がありました。これも、仮面浪人を決意する際にとても大きな支えになりましたね。

現役時の反省から、たった一人で勉強するという苦しい道を選択

仮面浪人を決意してからは、どのような勉強スタイルで進めていったのですか?

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高校の時は、「あの子が模試の成績が良かった」とか「あの子の単語帳めっちゃポストイット貼ってある…」とか「青色ペンの勉強法が良い」など周りの受験生の話に振り回されていろいろ手を出してしまい、自分の勉強法を深めずに終わってしまいました。現役の時の勉強法を分析した際に、そこが原因だと思いました。

そこで、仮面浪人時には「自分で自分の勉強法をひとつ決めて、決めたらそれを貫こう」と決めました。その為に、友人には仮面浪人のことを言わず、塾にも行かず、外からの情報は敢えてシャットアウトすることにし、いつも一人で勉強していました。

ひとりで勉強するのは本当に苦しいようにと思うのですが、孤独で辛くはありませんでしたか?

やはり、外からの情報をシャットアウトすると本当に孤独で、誰とも勉強の相談も出来ないし、本当にキツかったです。いつも孤独で、本当に孤独で、泣きながら自宅の部屋で勉強をしていました。不安で不安で。でも、ここで甘えたら落ちてしまうという思いから、最後まで突き通すよう、なんとか堪えていました。受験直前の二月頃は本当に大変で、家族に当たってしまったりもしました。

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