大塩みなみさんのプロフィール
出身地 | 群馬県 |
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学歴 | 群馬県立沼田女子高等学校→群馬県立女子大学国際コミュニケーション学部→お茶の水女子大学文教育学部人間社会科学科グロバル文化学環(現在2年) |
現在の動向 | 様々なインターンに参加。三つの学生団体に所属。 |
仮面浪人形態 | 前大学の授業と受験勉強を並行 |
予備校 | 通っていた(洋々) |
アルバイト | していた |
サークル | なし |
「学びたいこと」について考え直し、仮面浪人を決意
大塩さんは現役で群馬県立女子大学(以下、県立女子大)に進学後、仮面浪人を経てお茶の水女子大学(以下、お茶女)に進学されました。まず、お茶女を第一志望に決めたのはなぜでしょうか?
理由は二つあって、一つ目はずっと国際関係に興味があり、中でも発展途上国の問題について学びたいと思っていたことです。
きっかけは高校二年生の時に明石康さんが塾長を務めていらっしゃる「明石塾」に参加したことです。明石さんは日本人初の国連職員で、数々の民族紛争解決に尽力してきた私の尊敬している方です。その研修の中で「自分の国が幸せならそれでいいんですか?」と問いかけられ、「自分にもなにか出来ることがあるんじゃないか」と思ったのがきっかけです。それ以来ずっと国際協力に興味があり、それを学べる大学に照準を絞っていました。
二つ目は学生数の問題です。国際関係を学ぶだけであれば大学はいくつもあるかも知れませんが、学生数が多い大学ではどうしても教授一人に対する学生の数が多くなり、きめ細かい指導が難しくなると思っていました。
そこで、特に少人数での指導が受けられる大学を目指すようになり、ネットなどで情報を調べるにつれてお茶女に惹かれるようになりました。お茶女では教授一人につき生徒が10人以下で行う授業も多いと知り、かなり深い所まで質問して学ぶことができると思いました。
現役の受験では県立女子大に進学されていますが、その時はお茶女は受験されましたか?
現役の受験ではお茶女のAO入試と推薦入試を両方受けたのですが、どちらも不合格に終わりました。一般でも受けようか迷いましたが、落ちてしまったらどうしようというプレッシャーに負け、避けてしまいました。
そんな中で県立女子大のことを知りました。この大学は授業の8割が英語で行われるということで、将来に役立ちそうだと思い、英語にも興味がなかったわけではないのでそちらに志望を変更し、合格しました。
県立女子大でも「国際系に進む」という当初の目的はある程度果たせたように思えるのですが、なぜ仮面浪人をしようと考えたのですか?
県立女子大を否定するつもりは全くないのですが、「学びたい事と少し違う」という感覚があったためです。私がずっと学びたいと思っていた発展途上国について専門に扱ってらっしゃる先生がおらず、自分のやりたいことは出来ないと思いました。
それで入学してから段々「このままでいいのだろうか」という思いが膨らみ始めました。そのまま大学に通って、ひとまず英語のエキスパートを目指そうと考えたこともあります。でも、「自分が本当に学びたいのは”英語”なのか?」と考え直してみた結果、自分の夢を今の時点で諦めるわけにはいかないと感じ、発展途上国について学べる大学に行こうと決心しました。
一人でやりきると決めたAO入試対策
県立女子大での仮面浪人を決意なさった時は誰かに相談なさいましたか?
親には相談しました。元々母には入学してすぐの頃から「実は、やっぱり国際協力について学びたいんだよね…」と言う感じで相談していたのですが、「県立女子大でやりたいことが見つかるかも知れないから、もうちょっと頑張ってみなさい」と言われていました。
5月の中旬にお茶女のAO入試だけ受けると意志を固めて両親に相談した時は、特に父から強く反対されました。
自分で言うのもなんですが、お茶女のAO入試は倍率も高く、合格者が10人程度しかいない狭き門で、生半可なテクニックで切り抜けられるようなものではありません。そのことは前年の経験から両親も分かっていたので、両親も「また不合格に終わるのではないか」という不安から賛成できずにいたんだと思います。「対策は全部自分で完璧になるまでやるし、絶対に迷惑はかけないから受けさせてください!」とお願いしました。特に父に対しては半ば無理矢理に押し切ったという感じがします。
実際にAO入試の対策として小論文専門の塾に通い始めたのですが、その費用は親に負担をかけまいと思い自分でバイトをして稼いでいました。その姿を見てくれていたからか、次第に親の態度も軟化してきて、通学が大変な時は片道40分かけて車で送迎してくれることもありました。
AO入試に絞って合格されたとのことですが、そう決意したのは何故ですか?
大学に通いながら一般受験の対策は出来ないと感じたからです。
もし志望校が科目数の少ない私立だったらまだ何とかなると思えたのかも知れませんが、お茶女は国立で科目数も多いので、一般受験を受け直すのなら大学を辞めて普通に浪人する必要があると考えました。そうなると退学し、一般を受け直して落ちた場合、失うものが大きすぎると感じました。
AO入試であれば日常生活の学びというか、大学で学んで気付いたことも対策に活かせるのではないかと思っていたので、もう一度受験勉強をし直すよりも当時の自分にとっては合格する可能性はあるかも知れないと考えていましたね。
結局最後まで一般入試の勉強はせず、AO入試の対策しかしませんでした。
AO入試の時期はいつごろでしたか?
確か受験日が10月中旬、発表が11月中旬でした。
発表はWeb上で12時に発表だったのですが、実はかなり面接の手応えが悪く、落ちていると思ったので確認したのは夜に大学から帰宅してからでした。
見てみたら「あれ?見たことある番号が載ってる?」という感じで、自分でも事態がうまく飲み込めませんでした。
本当に思っても無いことが起きたので、「これ去年の番号じゃないか?」と疑ってみたり、家にいた父と一緒に何度も確かめたりとドタバタしました。(笑)
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