溝渕克仁さんのプロフィール
出身地 | 高知県 |
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学歴 | 土佐高校→神戸大学経済学部→京都大学総合人間学部(現在4年) |
現在の動向 | フリーペーパーサークルで活動中 |
仮面浪人形態 | 後期から大学を休学して受験勉強 |
予備校 | 通っていた |
アルバイト | なし |
サークル | あり |
専門分野に興味が湧かず、仮面浪人を決意。
溝渕さんは神戸大学(以下、神大)に現役で進学された後、仮面浪人を経て京都大学(以下、京大)に進学されています。まず、神大に進学した理由は何ですか?
現役時代は「関西地区のトップ校」ということで、なんとなく京大に憧れていました。それで勉強していましたが、センター試験の成績が芳しくなく、前期で大阪大学を受けました。しかし不合格となってしまい、後期で神大を受けて、合格しました。
一時は浪人という選択肢も考えましたが、家庭の経済状況もあり、合格しているのに浪人を選択するのはどうかな、という懸念がありました。また、高校の友人が早めに大学に合格していたのでとても心細く、浪人してまで京大を目指すという選択肢は取らず、神大に進学しました。
一度は神大に進学したものの、仮面浪人を決意したのは何故ですか?
神大に進学した時は「この環境に馴染もう!」と思い、フットサルサークルと天文研究会に入りました。
しかし、僕には高校で特に仲が良い友人が二人居たのですが、その二人とも東大と京大に合格していて、それが割り切れず劣等感を感じていました。
また、進学してみて、「自分の学びたい分野ではなかった」という面も大きかったと思います。神大の経済学部では、統計などの数学的な分野が必修だったのですが、僕はそれに興味が湧かなくて。それとは逆に、文化人類学などの一般教養科目は楽しいと思えました。だからこそ、「このまま適当に専門分野を決めてしまっていいのかな…」という想いから、仮面浪人を決意しました。
周りの人に、仮面浪人することについて相談しましたか?
実は6月頃に神戸で母親と会ったのですが、そこでの会話の中で「お母さんが神大に行けって言ったじゃん!」と八つ当たりしてしまったのです。その後、一人暮らしの家に戻りふとその時を振り返り、周りのせいにしてばかりで、そんな自分はかっこ悪いな、と気付きました。そこで考え直し、1年だけ自分のわがままだけど、納得するまでやらせてもらおうと決めました。それから改めて高知の実家に帰り、両親に相談しました。
親は、僕が不満に思っていたのは気づいていたみたいです。それもあって、親は「自分の責任で1年だけやりなさい。今年1年だけは援助するけど、これで落ちても知らないからね。」と、納得してくれました。
他の友人には相談しませんでした。大学で楽しそうな友人も多く、水を差したくなかったので…。また、仮面浪人していることを話して、変に気を使われることも嫌だったので、結局神大からはフェードアウトする感じになってしまいました。
この状況を変えたい、という強い想いで乗り切った仮面浪人生活
実際に仮面浪人中はどのような生活を送られてましたか?
前期は一人暮らしをしながら普通に授業に出て、単位も取得しました。万が一落ちてしまったときのために、保険で単位を取っていた感じです。そして親に相談したのが夏休み直前なので、夏休みから本格的に受験勉強を始めました。
夏休みは予備校の夏期講習を受けてブランクを埋め、後期からは受験勉強に集中したかったので、神大を休学して予備校に通っていました。僕は神戸の予備校に通ったので、神戸での一人暮らしをそのまま続けながら受験勉強を行いました。
仮面浪人生活中に辛かったことはありますか?
不安感と孤独感を抱えていたことです。
不安については、落ちたらどうしよう…ということを思っていました。万が一落ちたら留年だな…とか、神大に戻っても友達居ないしな…といった精神的な不安を抱えていました。
孤独感については、一人で勉強していたからでしょうか。
神大の友達と話しても話題についていけないと思っていたので、あまり話しませんでしたし、多くの時間を勉強に割き、一人で大学の寮で勉強していたので、孤独感を抱えていました。ただ、所属していた天文研究会の活動には月1回程度参加していたので、それが良い息抜きにはなっていました。
そのような辛い生活の中でも、頑張れた要因は何ですか?
この状況を変えたい、という強い想いがあったからです。
現状に不満がある以上、自分で変えるしかないと思っていましたし、自分が置かれている環境も自己責任なので、変えるなら自分でやり抜くしかないかなと。行動しない限りは変わらないと思ったからこそ、最後までやり抜けたのかもしれません。
あとは、負けず嫌いな性格も影響したと思います。高校の同級生は志望校に行きましたが、自分だけ行きたいところに行けなかったので…。そのことが、辛い生活の中でも頑張れた要因なのだと思います。
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