福岡大学→早稲田大学に仮面浪人で合格した中竹竜二さんインタビュー

福岡大学→早稲田大学に仮面浪人で合格した中竹竜二さんインタビュー

中竹竜二さんのプロフィール

出身地 福岡県
学歴 福岡県立東筑高等学校→福岡大学商学部→早稲田大学人間科学部→レスター大学院社会学部→三菱総合研究所→早稲田大学ラグビー蹴球部監督→日本ラグビーフットボール協会コーチングディレクター/20歳以下ラグビー日本代表監督
現在の動向 日本ラグビーフットボール協会コーチングディレクター/20歳以下ラグビー日本代表ヘッドコーチ
仮面浪人形態 前大学の授業と受験勉強を並行
予備校 通っていた
アルバイト なし
サークル ラグビーサークル

合理的に考えた結果の、仮面浪人での「普通の大学生活」

中竹監督は福岡大学(以下、福大)に現役で進学された後、仮面浪人を経て早稲田大学(以下、早稲田)へ進学されています。高校時代の受験について伺ってもよろしいでしょうか?

高校3年間はラグビーに明け暮れてあまり勉強をしておらず、最後の大会で負けて不完全燃焼に終わってからはしばらく呆然としていました。勉強のスイッチを入れるのに1ヶ月ほどかかり、ほぼゼロからのスタートになりました。最初は全然出来ませんでしたが、集中して取り組むうちに勉強が楽しく思えてきて、このままいけば結構良いところまで行けると思っていました。それでも、普通の高校生が三年間みっちり勉強するところを、僕の場合は1ヶ月程度しか勉強しないままで受験の日が来てしまいました。

当時から早稲田に進学してラグビー部に入ろうと思っていましたが、案の定落ちてしまい福大に合格しました。しかし早稲田に行きたいという思いは変わっていなかったため、浪人して再度受験しようと考えました。普通に予備校に通って浪人しようとも思いましたが、「とりあえず大学に通って、大学生活を味わってみたい」と思い福大で仮面浪人することを決めました。早稲田に合格したらまた4年間ラグビー漬けになり、高校時代と同じような日々になると想像がつきましたから、その前に普通の大学生活を送ってみたいと思っていました。

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もちろん普通に浪人することも可能でしたが、浪人と仮面浪人を比べて、大学生活を楽しめるというメリットのある仮面浪人を選んだということです。そういう意味では欲張りですね。仮面浪人は社会的には「浪人生」ではないので周囲に引け目も感じずに済みますし、もっと上を目指して勉強することも、貴重な大学生活を楽しむことも出来ると考えていました。

また、仮面浪人という手段自体が僕の勉強スタイルに合っていたことも、選択した理由の一つにあると思います。というのも、僕は高校受験のときも塾に通わずに地元の進学校に受かった経験があり、人と勉強法が違うと思っていたため、独学で勉強した方が良いと考えていましたから。親にもそのことを伝え、「お金はかかってしまうけど、一年勝負をさせて欲しい。」とお願いしました。

受験に限らず僕はもともと色んなことを同時にやる方がバランスを保てる人間で、「一つに集中してやりぬく」というのは性に合わないんです。それよりも、一見関係ない色々なことの中に共通項を見出して、応用しつつ頑張る方が力が出せる。自分自身のそういった面を知っていたからこそ、仮面浪人は僕にとってある程度現実的な選択肢に思えました。

色々並行してみるという考え方は仮面浪人を終えてからも変わっていなくて、興味があることは手広く色々とやるようにしています。振り返ってみると仮面浪人は自分にとって良い成功体験でしたね。

大学生活を味わうために入学した福大ですが、仮面浪人中は最後まで通われましたか?

大学の勉強がどんなものか理解したかったので、前期は最後まで通いました。
そうしたら成績が学部で上から10番以内に入って、「このままいけば福大に残ったとしても、上位の成績でいられる」と思えました。先ほど言ったように早稲田で体育会に入った場合は極端な生活になると思っていたので、福大では商学部といういわば一般的な学部に通い、女の子とも付き合い、合コンにも行き、「人並みの大学生活」を楽しみました。後期になると大学へはあまり行かず受験に集中しましたが、語学などの試験だけは受けて、進級できるようにはしておきました。

入学時から大学生活と勉強を並行していたということですが、仮面浪人中、河合塾にはずっと通ってらっしゃいましたか?

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前期はほとんど通っていませんでした。そもそも夏まではあまり勉強していなかったと思います。一応しようとは思っていましたが、新入生ガイダンスや初めての講義があり集中出来ませんでした。夏休みから受験生が本気で勉強している姿を見て、焦って始めたというところです。

後期は主に河合塾の授業にこっそり潜入して勉強していました。講師の方は僕が潜りでも関係なく接してくださいました。当時だからできたことですね(笑)。社員の方には狙われていたのですが、あまりにも堂々としていて問題にならなかったのかな。授業に潜っていたことについては河合塾ときちんと和解していますよ。毎年河合塾で講演をしていて、そこでも公言しています。自分としては当時の恩返しのつもりで講演をしています。

合格「する」と決意し、自らにプレッシャーをかけ続けた

メンタル面についてお話を伺います。一般的には受かる確率は予備校だけに通う普通の浪人の方が高いと思うのですが、それでも中竹監督が仮面浪人を選べたのは、合格できる自信があったからでしょうか?

勉強への自信のあるなしではなく、受かる前提で考えていました。
監督をやっていても、「勝つ自信はありますか?」などとインタビューで聞かれますが、自分としては勝つことを前提としてやっているので答えづらいんです。
「受からないかもしれない」と考えて行動することはなく、「ここまでやって無理だったらしょうがない」と思えるほど頑張ることをゴールに設定していました。

実際に今思い返しても、あれ以上頑張ることはできなかったと思います。能力や成績ではなく、「頑張ること」への自信はあったと言うべきでしょう。
受かる前提というよりも、「自分は絶対受かる」という気持ちで常にいたということです。

お話を伺っていると「来年自分は早稲田にいる」という自信があったように思えます。仮面浪人は不安と闘いながら行っているケースが多いのですが、中竹監督はそのようなことはありませんでしたか?

合格するイメージがあったからこそ、福大での生活を楽しめたのは事実だと思います。しかし、今だからこそ自信があったと語れるのかも知れません。当時の自分にしてみればやはり不安はあったでしょうね。

ただ、浪人生は二浪への恐れという悲観的なイメージから「一発で受からなければ!」と感じることが多いと思いますが、それは単に不安を生むだけのネガティブなプレッシャーです。対して僕が仮面浪人中に感じたプレッシャーは、「自分は仮面浪人した以上、絶対に合格しなければならない」という自分自身に課したポジティブなものでした。

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